熊本県益城(ましき)町の保育士、豊世美文(とよせ・みふみ)さん(35)は、全壊した自宅の下で生き埋めになりながら約5時間後に奇跡的に救出された。地震後に心の不調を感じ、園児に囲まれる大好きな仕事を続けられなくなったが、1年間の休養を経て今年3月に仕事を再開。生かされた命を見つめ直し、自らの人生を問い直した2年だった。
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2016年4月14日午後9時26分。激しい揺れで自宅の一部が倒壊。豊世さんの上に崩れたドアが覆いかぶさり、あおむけに両膝を曲げた状態で身動きが取れなくなった。余震でさらにドアが迫り、死を覚悟した。
熊本市消防局の早坂光輝さん(32)ら救助隊が駆けつけたのは午後11時ごろ。姿の見えない豊世さんに早坂さんらは「イエスなら1回、ノーなら2回たたいてください」と問いかけた。がれきの中から聞こえてくる音を頼りに、豊世さんの状態を想像しながら救出活動にあたった。
最大震度6強の余震もあり、救出は困難を極めた。2次災害の危険性も高いため、マニュアルで余震時は一時撤退と決まっている。だが、早坂さんらはその場で活動を続けた。「そこに豊世さんがいる。無我夢中だった」
15日午前1時15分、がれきのすき間から伸ばした早坂さんの手が豊世さんに触れた。「これで助けられる」「助かった」。2人の思いが交錯した。同2時24分に救出。「よく頑張った」。活動を見守り続けた父武士さん(72)の言葉に、こらえていた涙があふれた。左手の指3本が完全に曲がらないという後遺症が残ったが、奇跡的に軽傷だった。
しかし、自宅を失って激変した生活は、心に大きな負担をかけていた。地震の約1カ月後に職場復帰したが、秋ごろには園児たちと心から触れ合えなくなった。「知らないうちにストレスがたまり、自分の許容範囲を超えていたんだと思う」。17年3月、14年間務めた保育園を辞めた。
その後、ボランティア活動に参加してみるなど、立ち止まり、自らを見つめ直すことができた。そして、改めて子供たちに愛情を注ぐ仕事をしたいと考えるようになれた。今年3月から新たな職場に通っている。「地震で失ったものより得たものの方が大きい。生かされた命を大切にこれからも生きていきたい」【佐野格】
最終更新:4/14(土) 18:56
毎日新聞